2016年08月16日

真田有規ismトイレ

真田有規ismトイレ

真田先生は授業中トイレの話をし出した。

なぜトイレの話になったのかは思い出せないが、

「速飯・速糞芸のうち」というゴロのよい言葉と共に

話してくれた。

両方とも健康的に考えれば褒められたことではな

く、「速飯」は咀嚼回数が少ないため消化が悪く、

「速糞」はいきみ過ぎて痔になる可能性が大であ

るが、もののたとえだったと思っている。

誰よりも「速飯」・「速糞」すれば、人よりより多くの

時間が作れるということを言っていた。

特に具体的には「速糞」は3分以上トイレにいるな

という教えだった。

歳をとると「速飯」はだんだん遅くなってくるし、「速

糞」なども中々3分では済まなくなってきている。

でも、まだまだ人よりはかなり早い方だと思ってい

る。

だからなんだんだと言われそうだが・・・・(笑)
  


Posted by desiko at 18:04Comments(0)

2016年08月09日

卒業後最初で最後の同級会

先生を呼んで同級会を計画した。
確か1978年(昭和53年)だったと思う。

22歳~23歳になり
大学へいった奴も地元へ戻ったり、
そんな年度の始まった夏だったと思う。

魚屋の2階にある宴会場で、比較的安く
会費を設定して実施した。

40人ほどに案内を出したと思うが、
25人くらい集まったと思う。
男が15人くらいで、東京や様々な所か
ら集まったと思う。

女は明かに少ない感じがした。
これは真田先生にも責任があると思っ
ている。
先生は髪型について、男は「坊主」女は
「おかっぱ」以外認めなかった。

また、「男尊女卑」という主張をして
男はヘラヘラ女としゃべるものではない。
という教えで、クラスの女子とはまともに
話などしたことがなかった。

そんな状況で卒業したのだから、女子は
良く思っていなかったのだと思う。
でも、その時はそう思っていたが、歳がた
つにつれて、いろいろ話をしていくと、先
生には本当に感謝している。
という話をよく聞くようになった。

男女を問わず、生き方というか、人生の
在り方を話してくれてた気がする。

先生はその時、今一番大切にしているこ
とや、面白いと思っていることを一人一人
聞いた。

他の奴のことは全く忘れたが、俺は
「商売で現金を数えている時が一番楽し
い」と言ったことを覚えている。

先生は、「守銭奴にはなるなよ」と、言っ
たことが頭を離れない。

これも、俺の人生の中で頭の中に刻印さ
れて、決して消えないことである。
もし、この教えががなかったら、俺はどう
なっていたのかと思うと、他人に後ろ指を
指されることもなく生きてこれたことに感謝
したい。

今後何度か先生と会うチャンスがあれば
もっと別の人生を歩んだかもしれないが、
俺の人生は、先生に救われたことに間違
いない。

しかし、残念なことにこれが最初で最後の
同級会になってしまった。  


Posted by desiko at 17:40Comments(0)

2016年03月26日

上山市体育協会より功労賞をいただいた

上山市体育協会より功労賞をいただいた
これはそのまま真田有規先生に捧げたい。

先生に出会い、柔道と共に人生を歩んできた。
柔道のお陰で友達も出来た。
人生の想い出もできた。

今、ここに先生が生きていたら
きっとこの受賞は喜んでくれただろう。

細々と、コツコツと、真面目に取り組んだ姿を
きっと喜んでくれるだろう・・・・。

でも、これをいただけたのは先生のお陰です。
柔道に出会わせてくれた先生のお陰です。

これからの人生、先生の分もがんばります。
2020年のオリンピック、パラリンピックには、
駐車場係でもいいから関わりたいと思っている。

先生と一緒に関わりたいと思う。  


Posted by desiko at 23:29Comments(0)

2014年09月29日

今日から心機一転、真田有規先生の実名を表示する。

これまで、正直なところ手探りであった。
こんなブログ書いていて真田有規先生の親族に
何か影響が無いのかなどと・・・・・


先日、真田有規先生の教え子の先輩が尋ねてきた。
真田有規先生の思い出話を聞いてまわって、本に
まとめたいのだという。


その方は同級生のみならず、同窓生で真田有規先生と
かかわりのあった方を回っているという。

あーーここにも真田有規先生を愛する方がいた。
そう実感した。


もしかしたらもっともつといるかもしれない。
だとしたらこのブログも真田有規先生の実名を
出して、いろいろご意見や情報もいただかなければ
ならないと思い、真田有規先生の実名としました。

今後とも宜しくお願いいたします。
  


Posted by desiko at 07:11Comments(0)

2013年10月11日

真田有規ismラーメン

真田有規先生の生き方で、いくつか教えをいただいた。

ラーメンのスープは最後まで全部飲むべし。

ラーメンはスープが命

全部飲みきれないと思うなら、麺を残せ!!

その教えをいただきながら、いつの日かラーメンを

柔道部全員でご馳走になった。

その日以来、スープは残さないと心に誓った。

最近年のせいか、脂の多いラーメンや味の濃いラーメンは

全部飲み干せなくなった。

でも、今でも、いつも、ラーメンを食う時は

先生を思い出す。  


Posted by desiko at 08:45Comments(0)

2013年09月30日

部活は楽しい(地獄の訓練??)

ある日、突然部員全員で走って街の真ん中の
交差点で四方に分かれて歌を歌った。

なんの歌だったかは忘れたが、大きな声で、
全員で歌った。

そして、その後一人ずつ歌った。
声が小さいとやり直させられた。

町の人たちは何事かと見物に来る。
恥ずかしい・・・なんて思う暇も無く
歌った。

度胸付けということだろうが、今なら
体罰とかというカテゴリーで分類され
新聞沙汰になっただろう。

でも、こんなことを「地獄の訓練」と称して
お金を取って主催しているところもある。

私をはじめ柔道部は、中学にしてこの
「地獄の訓練」を無料で経験している。


  


Posted by desiko at 21:10Comments(0)

2013年09月30日

部活は楽しい(裸泳ぎ)

なんといっても、誰もが認めるのが、裸泳ぎである。
柔道部恒例の川原での裸泳ぎ。
裸で泳ぐのは当たり前と思っている人も多いと思う
が、すっぽんぽんである。

まず、川原まで走らされる。最初は柔道着を着たまま
グランドの脇の道路を走らされる。

川原に向かって走り出すと、バレー部や陸上部、
ソフトボール部の女子が「またか」といった顔で
見てみぬ振りをする。

帰りにフリチンのまま帰らされるので、すでに
笑っているのさえいる。

ちょっと順序がばらばらになったので、もう一度
最初から説明すると・・・・

柔道着は着たまま走って川原に行って
川原を堰きとめてプールのようにして
全裸になって泳ぐ。

泳いだ後は、全裸のまま柔道着をかついで、
フリチンのまま、グランドの脇を通って帰ってくる。

恥ずかしいが、絶対隠すことを許さない。
有田先生は「堂々と歩け」と言って隠させない。

それをグランドで練習している女子の部活の
生徒が見てみぬ振りをしている。というか、
正直、女子を観察する余裕が無かった。

柔道部のこのことは、我々年代の人は必ず
言うだろう。  


Posted by desiko at 07:29Comments(0)

2012年07月20日

もうすぐ命日・・・

8月26日は真田有規先生の命日である。
なんとかこのブログで先生のことを伝えたいと思い、
開設したのにこのざまである。

何とも情けない。

だが、真田有規先生の教え子たちで命日に集まろう
ということが決まった。
ちょうど今年は土曜日ということもあり、集まって
昔話に花を咲かせたいと思う。

  


Posted by desiko at 15:51Comments(0)

2010年05月21日

部活は楽しい

部活は楽しかった。もちろん柔道の練習はきつい。
「うさぎ跳び」は毎日だった。今では考えられないだろう。
この方法が体を鍛え、柔道に役に立つと真剣に信じて疑わなかった。
いっつも俺と小鉄はビリ争いだった。
ほかの同級生は俺達2人のはるか先を行き、いつも俺達2人を
待つという展開だった。
走らされても、腕立て伏せも、腹筋も、すべて同じだった。

でも、先輩達はやさしく厳しかった。
うまく表現できないが、厳しい中に愛情があった。
とでも言うべきか・・・・
そして、真田有規先生もそうだった。
指導者の考え方が良く伝わっていたと思う。

俺はいつも小鉄に救われた。
小鉄にだけは負けまいと努力した。
小鉄はどう思っていただろう。
卒業後接点はたくさんあったが、音信不通だ。
今思うと、小鉄に負けないことが唯一の救いだったかもしれない。

その中で、柔道が強いとか勉強ができるとか、がんばれば
できること以外で、どうしても勝てないヤツYがいた。
Yは、両親がいない。妹と2人兄弟で、おじさんに育てられてきた。
この状況は決して近づくことができない事実だった。
想像もつかないものであった。
でもYは、どこをとっても、ひとつも曲がったところがない
すばらしい人間だった。
勉強も学年で1~2番を争っていた。350人もいる
中の1~2番だから、すごいと思う。
そして、勉強のできるやつ特有の雰囲気がまるでない。
いつもニコニコしていて明るい。


このYのことは自分の子供にもよく話をした。
子どもたちは「わかったわかった、100回は聞いた」と、
言うが、きっと気持ちは伝わっていたと思う。
本当に尊敬するし、自慢の同級生である。

そして、そのYのおじさんもすごいし尊敬する。

親がどうのこうの言って ”ワル” してるやつは、
Yの爪の垢でも煎じて飲め!・・・と、言いたい。
Yは決してそんなことは口にしないだろう。
自分の境遇などを武器にしないだろう。

当然そんなYを真田有規先生は特別扱いしない。
俺達ボンクラ(凡人)は、人の倍は努力しろ!
Yを含め全員に言っていた・・・・・

  


Posted by desiko at 07:13Comments(0)

2010年05月18日

はじめまして真田有規先生

真田有規先生との初めての出会いは廊下だった。
のっし、のっし、といった感じて歩く先生が真田有規先生で、
手には竹刀(しない)を持っていた。
剣道の先生かな?と最初思った。

真田有規先生は隣のクラスの担任だった。
怖そうな先生なのでなんかホッとした。

入学早々ではあるが部活の見学が始まっていた。
俺は小学校のころは野球が好きで、キャッチャーを
やっていた。だから、野球部に入ろうか、または
大の友達がテニスをすると言っていたので、テニス部?

卓球なんかもいいなぁぁ・・・くらいな感じで見学を
していた。

たまたま柔道場に何の気なしに行くと、野球部やテニス部の
雰囲気とまるで違った!!

野球部やテニス部は「どうだ?カッコイイだろ?」
「入りたければ入れてやるぜ」的雰囲気に対し、
柔道部は「よく来てくれたなぁぁ、柔道って楽しいぜ」
「よかったら見学だけでなく投げてみないか?」
そんなやさしい出迎えであった。

あの怖い顔した真田有規先生もそこにいて、でもやさしく
指導していた。
俺はこれにはまった!!一瞬ではまった!!
柔道着を着て、大きな先輩を背負って投げた・・・
手とり足とり親切に投げ方を教えてもらった。
「キモチイー」と思った。

しばらくして真田有規先生が来て
「体重何キロある?」と聞いて来た。
「60キロです」というと、
「へぇぇ案外あるんだ?みかけより・・・」と言って、
「明日から正式に入れや!」と言われ、つい
「はい!!」と元気よく答えてしまった。  


Posted by desiko at 06:56Comments(0)

2010年05月16日

残暑厳しい8月26日我が愛する真田有規先生が逝った

8月26日、突然届いた真田有規先生の訃報
逝くのが近いのはわかっていた。もう駄目なんだってことはわかっていた。
しかし、いざその事実を知らされた時、震えるような寒気を覚えた。
残暑厳しい8月の下旬だが、自分のまわりだけ凍りついた。
いよいよお別れを言う時が来てしまった。

一カ月ほど前に行った時は痩せてはいたが元気にしていた。
元気の振りをしていたと言ったほうがいいかもしれない。
一升瓶を持ち出し「酒を飲め」と勧めた。
「車で来たので」と断ると一瞬寂しそうにした。
こんな先生は初めて見た。
今でも酒は飲めるぞという精一杯の元気のように思えた。

  


Posted by desiko at 10:20Comments(0)