2010年05月21日
部活は楽しい
部活は楽しかった。もちろん柔道の練習はきつい。
「うさぎ跳び」は毎日だった。今では考えられないだろう。
この方法が体を鍛え、柔道に役に立つと真剣に信じて疑わなかった。
いっつも俺と小鉄はビリ争いだった。
ほかの同級生は俺達2人のはるか先を行き、いつも俺達2人を
待つという展開だった。
走らされても、腕立て伏せも、腹筋も、すべて同じだった。
でも、先輩達はやさしく厳しかった。
うまく表現できないが、厳しい中に愛情があった。
とでも言うべきか・・・・
そして、真田有規先生もそうだった。
指導者の考え方が良く伝わっていたと思う。
俺はいつも小鉄に救われた。
小鉄にだけは負けまいと努力した。
小鉄はどう思っていただろう。
卒業後接点はたくさんあったが、音信不通だ。
今思うと、小鉄に負けないことが唯一の救いだったかもしれない。
その中で、柔道が強いとか勉強ができるとか、がんばれば
できること以外で、どうしても勝てないヤツYがいた。
Yは、両親がいない。妹と2人兄弟で、おじさんに育てられてきた。
この状況は決して近づくことができない事実だった。
想像もつかないものであった。
でもYは、どこをとっても、ひとつも曲がったところがない
すばらしい人間だった。
勉強も学年で1~2番を争っていた。350人もいる
中の1~2番だから、すごいと思う。
そして、勉強のできるやつ特有の雰囲気がまるでない。
いつもニコニコしていて明るい。
このYのことは自分の子供にもよく話をした。
子どもたちは「わかったわかった、100回は聞いた」と、
言うが、きっと気持ちは伝わっていたと思う。
本当に尊敬するし、自慢の同級生である。
そして、そのYのおじさんもすごいし尊敬する。
親がどうのこうの言って ”ワル” してるやつは、
Yの爪の垢でも煎じて飲め!・・・と、言いたい。
Yは決してそんなことは口にしないだろう。
自分の境遇などを武器にしないだろう。
当然そんなYを真田有規先生は特別扱いしない。
俺達ボンクラ(凡人)は、人の倍は努力しろ!
Yを含め全員に言っていた・・・・・
「うさぎ跳び」は毎日だった。今では考えられないだろう。
この方法が体を鍛え、柔道に役に立つと真剣に信じて疑わなかった。
いっつも俺と小鉄はビリ争いだった。
ほかの同級生は俺達2人のはるか先を行き、いつも俺達2人を
待つという展開だった。
走らされても、腕立て伏せも、腹筋も、すべて同じだった。
でも、先輩達はやさしく厳しかった。
うまく表現できないが、厳しい中に愛情があった。
とでも言うべきか・・・・
そして、真田有規先生もそうだった。
指導者の考え方が良く伝わっていたと思う。
俺はいつも小鉄に救われた。
小鉄にだけは負けまいと努力した。
小鉄はどう思っていただろう。
卒業後接点はたくさんあったが、音信不通だ。
今思うと、小鉄に負けないことが唯一の救いだったかもしれない。
その中で、柔道が強いとか勉強ができるとか、がんばれば
できること以外で、どうしても勝てないヤツYがいた。
Yは、両親がいない。妹と2人兄弟で、おじさんに育てられてきた。
この状況は決して近づくことができない事実だった。
想像もつかないものであった。
でもYは、どこをとっても、ひとつも曲がったところがない
すばらしい人間だった。
勉強も学年で1~2番を争っていた。350人もいる
中の1~2番だから、すごいと思う。
そして、勉強のできるやつ特有の雰囲気がまるでない。
いつもニコニコしていて明るい。
このYのことは自分の子供にもよく話をした。
子どもたちは「わかったわかった、100回は聞いた」と、
言うが、きっと気持ちは伝わっていたと思う。
本当に尊敬するし、自慢の同級生である。
そして、そのYのおじさんもすごいし尊敬する。
親がどうのこうの言って ”ワル” してるやつは、
Yの爪の垢でも煎じて飲め!・・・と、言いたい。
Yは決してそんなことは口にしないだろう。
自分の境遇などを武器にしないだろう。
当然そんなYを真田有規先生は特別扱いしない。
俺達ボンクラ(凡人)は、人の倍は努力しろ!
Yを含め全員に言っていた・・・・・
Posted by desiko at 07:13│Comments(0)